いわゆるSMを辞書でひくと、
(sadism and masochism の略) サディズムとマゾヒズム。加虐性愛と被虐性愛。
と出てくる。。。何か違う、昔から全然しっくりきていない。
自分はM女性を傷つけたいわけでもましては虐待したいわけでもない、寧ろその逆なのだ。などと以前から考えることが多く、人から「Show様はドSだ」といわれることに少々の違和感と戸惑いを持って生きてきた。
とは言え、これからこのブログで書き連ねることになろうであろう自分なりのSM論?を、その都度それらの人に披露することも烏滸がましく、故に、自身の中にはある程度ユラユラとしたマグマのようなものがまるでドリップされるコーヒーのごとく少しずつ溜まっていたという自覚はあったように思う。
そんな折、まあいわゆるそういう趣向をお持ちの方々が夜な夜な集ういつものバーで、これもまたいつものようにシングルモルトをあおっていたところ、とあるサブカル系女性誌で中堅編集者をしている友人(因みにドM男)がSMに関連する特集企画のために、お前の今までのSMに関しての見識や経験をもとに記事を書いてくれないかと打診してきた。
彼がこのバーにおいて何年も私が話すSM論?を聞き(聞かされ)、またS/M問わず多くの悩める女性(たまに男性)の相談に乗ってきた姿を見てきたからではの話しであろうことは嬉しく思ったが、いやいや恐れ多い。
今までそれ系の会員制メルマガやWEBサイトにコラムを書いたことは数回あったが、やはりこの趣向(性癖)は自分にとってある程度秘めたものであり、よもやパブリックにひけらかそうなどとしようともしたいとも思わない旨彼に伝え、その話は丁重にお断りした。
しかし、その頃あたりからユラユラとしていたマグマがグツグツと音を立て始めていたことに自身で気づく。
古くからの友人に自身の考えが肯定、評価され、いやしくもその道のプロフェッショナルな判定基準においてそれが人目にさらされて然るべきモノである、と判定を受けた事が何か誇らしく、それが理由である事が自身では判っていた。
思い立つ。
「ブログならどうであろうか」
パブリックではあるが本や音楽、コマーシャルのように受動的に人に届くものではなし、その手の趣向を持つ愛すべき人々が能動的に探さないとたどり着けない場所であるというのがとてもいい。
自身のマグマの噴火が1人でも多くのM女性の何らかの糧になる可能性があるのではないか、そう思うとそのリビドーはもはやこのサイトを立ち上げるには十分な原動力となっていた。
かくしてこの、「Mということ」について。は誕生することとなる。
(長くなったので一旦区切る。その2では「Mということ」の意味について語ろうと思う)

